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音楽の歴史


近代・現代の音楽
 
1. 19世紀後半から20世紀へ

    18世紀末の フランス革命 によって生れた自由と平等の精神は、各国の市民階級の中に深く浸透し、ウィーン体制に対する彼らの抵抗には根強いものがありました。革命の震源地であるフランスではもちろん、そのほかの諸国においても、政治的な変動や社会体制の変化が相次いで起こり、ヨーロッパだけでなく、世界全体がそれによって揺り動かされるようになっていきます。その激変する社会情勢は、そのまま世紀の後半にまでもちこされ、やがて、20世紀前半における2度の大戦を招くに至ります。
 
 
  フランスでは1848年の第2共和政時代のあと、ナポレオン3世による帝政時代と有名なパリ・コミューンを経て、1875年には第3共和国憲法が誕生し、今日の基礎を築きます。ドイツはプロイセンを中心勢力として、1871年にドイツ帝国を名のることになり、イタリアでは1859-60年にわたる統一戦争からイタリア王国の誕生を見ることになります。
  海を隔てたイギリスはヴィクトリア女王(在位1837-1901)の時代であり、世界に広がった経済圏を足場に、世界帝国としての威容を整えつつありました。ロシアも既に大国として先進諸国と肩を並べるに至ったものの、1861年の農奴解放、81年のアレクサンドル2世の暗殺事件と、政治的には多難な道を歩んで、やがてロシア革命へとつながっていくことになります。また、スカンディナヴィア3国やバルカン半島の諸国、ボヘミアやポーランドなどでは、独立運動が盛んに行われていました。一方、海の向こうのアメリカでは1861-65年の南北戦争が、63年の奴隷解放宣言を挟んで行われ、65年には合衆国としての統一が成立します。
  こうしたヨーロッパ社会の動きは、結果的に、その後の列強の帝国主義的な動きを助長することになりますが、一方では、自由主義的な考えかたに基づいた市民階級を中心とする民族運動も高まっていきます。それが国民主義です。この時期、そうした傾向が音楽にもうかがわれるところから、この時代の音楽を国民主義音楽とよんでいますが、技法的にはロマン主義音楽の延長上にあると考えることができます。


2. 国民主義の作曲家たち

  ロシアの国民主義音楽を最初に創造したのは、歌劇《イヴァン・スサーニン》や《ルスランとリュドミーラ》などで知られる グリンカ (M.I. Glinka、1804-57)です。彼に続いたのが ダルゴムイシスキー (A.S. Dargomizhsky、1813-69)で、そのあとに ロシア五人組 の人たちが現れてきます。
  国民主義的ないきかたを最も明確に表したのが ロシアの五人組 による音楽でした。五人組には バラキレフ (M.A. Balakirev、1837-1910)、 キュイ (C.A. Cui、1835-1918)、 ボロディン (A.P. Borodin、1833-87)、 リムスキー=コルサコフ (N.A. Rimsky-Korsakov、1844-1908)、 ムソルグスキー (M.P. Mussorgsky、1839-81)がいますが、このうち、正規の音楽教育を受けたのは バラキレフ だけでした。ほかの人たちは今ふうにいえば、趣味で音楽に興じるディレッタントに過ぎませんでした。それだけに、伝統にあまりとらわれることなく、玄人くさくないフレッシュな音楽を生み出せたのだといえるでしょう。

  この 五人組 の中では、組曲《シェエラザード》で知られる リムスキー=コルサコフ が最も作曲理論に優れ、《管弦楽法》や《和声学》の著書も遺しています。また、 ムソルグスキー は代表作として歌劇《ボリス・ゴドノフ》や《展覧会の絵》などを書き、その伝統に束縛されない新鮮な音楽は、後の音楽家にいろいろな意味で影響を与えていきます。
  しかし、その時期のロシアで、一方では西欧ロマン主義に基づく作品を書いていた作曲家もいます。 アントン (A. Rubinstein、1829-94)と ニコライ (1835-81)の ルビンシテイン兄弟 チャイコフスキー (P.I. Tchaikovsky、1840-93)がその代表格で、特に チャイコフスキー は3大バレエ曲をはじめとする多くの作品を書いて、技法的には西欧的ロマンティシズムの枠を守りながらも、スラヴ的な民族色を盛り込んで、独特の作風を確立するに至ります。

  同じ頃、ボヘミアには スメタナ (B. Smetana、1824-84)や ドヴォルザーク ( A. Dvorak、1841-1904)などが登場します。ともに、ボヘミアの民族色を強く反映した作品で知られ、前者は歌劇《売られた花嫁》や交響詩《わが祖国》、後者は交響曲《新世界から》そのほかの作品が有名です。ボヘミアでは彼らに続いて、 ヤナーチェク (L. Janc?ek 、1854-1928)や スーク (J. Suk、1874-1935)、さらに ワインベルガー (J. Weinberger、1896-1967)や微分音で有名な ハーバ ( A. Haba、1893-1973)などが現れ、現代チェコ音楽の伝統を築き上げていきます。

  スカンディナヴィア諸国では、ノルウェーに グリーグ (E.H. Grieg、1843-1907)、フィンランドに シベリウス (J. Sibelius、1865-1957)が現れ、それぞれの民族色を盛り込んだ名作を遺しています。グリーグは、有名な《ピアノ協奏曲イ短調》、付随音楽《ペール・ギュント》や多くのピアノ曲で知られており、 シベリウス は《フィランディア》をはじめとする多くの器楽曲が有名です。


 

3. その後のドイツ、オーストリアとフランス

  国民主義音楽は19世紀後半に、国家的にも音楽的にもやや立ち遅れていた諸国において、特に顕著な隆盛を見せましたが、従来からの音楽国にあっても、多かれ少なかれ、国民的な音楽を書くという考えが生れてきます。

  ドイツ、オーストリアでは、 ワーグナー の死後、 ブルックナー (J.A. Bruckner、1824-96)、 ヴォルフ (H.P.J. Wolf、1860-1903)、 マーラー (G. Mahler、1860-1911)などがその流れの上に活躍し、一方、ブラームス系の作曲家としては、 レーガー (M. Reger、1873-1916)をあげることができます。
ブルックナー は9つの交響曲を中心的な作品として遺しましたが、いずれにも、ワーグナー色が強く反映されており、どの交響曲も1時間あまりを要する大曲となっています。 ヴォルフ は歌曲作曲家として、 ドイツ・リート の道をやや違った角度から練り直し、独特の世界を展開しました。 マーラー も交響曲の作曲家として活動しましたが、歌曲でも《亡き子をしのぶ歌》や《さすらう若人の歌》《子どもの不思議な角笛》などを書いています。また、指揮者としての活動にも大きな足音を遺しました。また、 レーガー ブラームス に傾倒し、古典形式を尊重した作品を作り出しました。

  この時期には、ほかにも、ヴァイオリン協奏曲で知られる ブルッフ (M. Bruch、1838-1920)、歌劇《ヘンゼルとグレーテル》で親しまれている フンパーディンク (E. Humperdinck、1854-1921)、ピアニストとして活動した モシュコフスキー (M. Moszkowski、1854-1925)、それに プフィッツナー (H. Pfitzner、1869-1921)などが活躍し、その流れの中に リヒャルト・シュトラウス (R. Strauss、1864-1949)が登場してきます。シュトラウスの後半生は20世紀の前半と重なりますが、作風はあくまでもワーグナーふうの流儀にしたがった作曲家でした。しかし、現代音楽的な多調性や無調性の技法も取り入れた、多くの交響詩や楽劇、歌曲などを遺しており、現代ドイツ音楽の基礎を築いた功績はけっして小さくありません。

  フランスでは、19世紀前半の抒情歌劇全盛時代のあとを受けて、後半時代になると、 フランク (C. Frank、1822-90)と、その流れをくむ ダンディ (V. d'Indy、1851-1931)、 デュパルク (H. Duparc、1848-1933)、 ショーソン (E. Chausson、1855-99)など、あるいは、そのグループとは対照的な存在であった サン=サーンス ( Camille Saint-Sans 、1835-1921)、 フォーレ (G. Faure 、1845-1924)、 シャブリエ (A.E.Chabrier、1841-94)などが登場してきます。彼らは歌劇面ばかりでなく、器楽の分野でも多彩な作品を書いて、近代フランス音楽の基礎を築き上げました。

  フランクはベルギー出身ですが、パリ音楽院に学び、その生涯のほとんどを教会オルガニストとして過ごしました。作品的には寡作であり、構成的には堅固ながら、やや地味な作風をみせています。《フランス山人の歌による交響曲》で知られる ダンディ は フランク の弟子で、理論面での仕事にも重要な業績を遺しています。また、 デュパルク は《旅へのいざない》という歌曲によってよく知られていますが、後半生は精神的疾患のために隠遁生活を送りました。 ショーソン は《詩曲》がよく知られています。
サン=サーンス は、その長い生涯を精力的に活動した人で、わかりよさとよい意味での国際性を身上とする作曲家でした。彼の門下である フォーレ にも、師と同じ傾向が認められ、歌曲や室内楽曲、ピアノ曲などに名作を遺しています。その フォーレ と同時代の シャブリエ は、作品の数は少ないものの、狂詩曲《スペイン》が有名です。

  こうしたフランスの作曲家たちは、その作風においてはそれぞれ違った道を歩いたとはいえ、国民的な音楽を作るという点では同じ考えをもっていました。彼らが集まって、1871年には国民音楽協会が作られ、ある意味で国民主義的ともいえる運動をはじめます。こうした活動が基礎になって、20世紀におけるフランス音楽の隆盛が導かれていったのです。



 
4. その他の国では
  スペインには、組曲《イベリア》で知られる アルベニス ( Isaac Albeniz 、1860-1909)や、《ゴイエスカス》が有名な グラナドス (E. Granados、1867-1916)が登場します。いずれも、スペインの民族的な色彩をフランス音楽からの影響である印象主義的な技法で包む作風が特徴で、その表現においては近代的であるものの、内容的には国民主義的であるといえます。この2人より1世代ぐらいあとの ファリャ (M.de. Falla、1876-1946)は、バレエ音楽《恋の魔術師》や《三角帽子》がよく知られており、多分に民族的な色彩を見せながらも、きわめて近代的な作風が特色です。


  バルカン半島の諸国にも国民主義的な音楽家たちが現れました。ルーマニアでヴァイオリニストとして活躍した エネスコ (G. Enesco、1881-1955)は《ルーマニア狂詩曲》が知られています。ハンガリーには ドホナーニ (1877-1960)が出て、近代ハンガリー音楽の基礎を築き、その同年代に バルトーク ( Bela Bartok 、1881-1945)や コダーイ ( Zoltan Kodaly 、1882-1967)も出て、20世紀の音楽に大きく貢献することになります。スイスには、 ラフ (J.J. Raff、1822-82)や マルタン (F. Martin、1890-1974)、ポーランドには、ヴァイオリニストとして活動し、ヴァイオリン協奏曲で親しまれている ヴィエニャフスキ (H. Wieniawski、1835-80)や大統領になったことで有名なピアニストの パデレフスキ (I.J. Paderewski、1860-1941)などが登場します。また、イギリスでは エルガー (E. Elger、1857-1934)が活躍しました。
  新しい国家としてのアメリカでも、19世紀後半にはいって、 ハーバート (V. Herbert、1859-1924)や マクダウェル (E.A. McDowell、1861-1908)などが登場してきます。


 
5. 20世紀音楽の流れ──その作曲家たち

  20世紀の音楽は ドビュッシー (C.A. Debussy 、1862-1918)の印象主義音楽とともに始まるといえます。彼がパリ音楽院に入学したのが1873年、そこでローマ大賞を受賞したのが11年後の1884年。そして、印象主義の最初の作品ともいわれる《牧神の午後への前奏曲》を書いたのが1894年のことです。とすれば、20世紀の音楽ともいうべき、それまでの伝統的な書きかたと異なった音楽の始まりを、その時期とみなすこともできるでしょう。


  しかし、その時期には、ドイツでは、まだ リヒャルト・シュトラウス がワーグナーふうの音楽を書き、 ブルックナー マーラー も健在でした。イタリアでは、 ヴェルディ が最後の歌劇《ファルスタッフ》を書き上げ、 プッチーニ が活動期に入る頃です。つまり、時を同じくして、伝統的な音楽が一方では盛んに作られていた時期だったのです。こうした新旧2つの流れは、第一次大戦まで並行しながら進んでいきますが、その中で、より新しく、より実験的な音楽も書かれていき、次第に、その存在が注目されるようになっていくのです。

ドビュッシー 印象主義 音楽は、当時のフランス美術界で、 モネ (C. Monet、1840-1926)、 ルノアール (A. Renoire、1841-1919)、 セザンヌ ( P.Cezanne、1839-1906)、 ドガ (E. Degas、1834-1917)などの画家たちによって盛んに使われていた新しい技法“印象主義”を、音楽に適用したことで生れました。その中心的な手法は、光と影の常に変化する効果を表現することを目的に考え出されたものです。そのために、 ドビュッシー は全音音階その他の理論を利用し、響きの工夫を凝らして、これまでの音楽とは異った効果を生み出すことに成功しました。この ドビュッシー と同種の技法を用いた ラヴェル (M. Ravel、1875-1937)がその後に続き、この印象主義の技法は全世界の作曲家に大きな影響を与えることになります。
  同時代のその他の作曲家には デュカス (P. Dukas、1865-1935)や ルーセル (A. Roussel、1869-1937)などがいます。前者では《魔法使いの弟子》、後者ではバレエ音楽《くもの饗宴》がよく知られています。

  この ドビュッシー の後半生の活動に重複するように、ロシアの作曲家 ストラヴィンスキー (I. Stravinsky、1882-1971)が現れ、 ディアギレフ のロシア・バレエ団のために書いた諸作品によって、一躍その名を知られるようになります。また、その荒々しい原始主義的な音楽が、当時試行錯誤を繰り返しつつあったヨーロッパの作曲家たちに、大きな刺激を与えることになりました。
  20世紀に入ってから、フランスには文学における象徴主義が生れ、美術界ではフォーヴィズム(野獣派)が生れましたが、ドイツにも表現主義とよばれる芸術運動が起こりました。これらは、それぞれに独自の特徴を示していますが、コントラストの激しさや写実的でない形態の表現に共通した特色があるといえます。 ストラヴィンスキー の音楽や、後から触れる シェーンベルク バルトーク の音楽などが、それと類似の傾向を示しています。

  その後、さらにキュビズム(立体派)やアブストラクト芸術、あるいはダダイズムなどの諸傾向も現れ、ある種の破壊的な芸術思潮も生れてきますが、それも第1次大戦によって消滅し、次の第2次大戦との谷間の時期にはシュールレアリズムが出現してきます。
  一方、思想界では、ドイツに ヴィンデルバント (Windelband、1848-1915)が出て新カント派とよばれ、唯物論的傾向への反省を求めます。フランスには、生の哲学を説いた ベルグソン (H. Bergson、1859-1941)、アメリカにはプラグマティズムの デューイ (J.-Dewey、1859-1952)などが現れ、さらに、フランスには サルトル (J.P. Sartre、1905-1979)が登場し、実存哲学が文学的な運動と結びついて、人間の実存についての追求が行われました。また、文学界では、フランスに プルースト (M. Proust、1871-1922)が出て、名作《失われた時を求めて》を書き、アメリカには ヘミングウェイ (E. Hemingway、1899-1961)や フォークナー (W. Faulkner、1897-1962)などが現れ、一種の文明批評的な視点からの文学を書きました。そのほかイギリスの ショー (B.Shaw、1856-1950)、ドイツの トーマス・マン (T. Mann、1875-1955)、フランスの ロマン・ロラン (R. Rolland、1866-1944)、ロシアの ゴーリキー (M. Gorky、1868-1936)なども出て、20世紀的な文学作品が続々と誕生していきます。

  音楽の世界では、第1次大戦後のフランスに六人組とよばれる若い作曲家のグループが生れました。その6人の作曲家とは ミヨー (D. Mihaud、1892-1974)、 オネゲル (A. Honegger、1892-1955)、 プーランク (F. Poulenc、1899-1963)、 デュレ (L.Durey、1888-1979)、 タイユフェール (G. Tailleferre、1892-1983)、 オーリック (G. Auric、1899-1983)たちです。彼らは反ロマン主義、反印象主義という立場に立って、単純で直截的な音楽を書くことを目ざしていました。とくにミヨーは、多くの点でその後のフランス音楽の方向に指標を与えた人として重要です。技法的には複調性を好んで用いています。 オネゲル はスイス出身で重厚な作風をみせ、 プーランク はわかりやすさとフランス的な感覚に特徴を感じさせます。また、 タイユフェール は女性作曲家でした。

  この六人組の指導的立場に立っていた作曲家に サティ (E. Satie、1866-1925)がいて、奇妙な標題をもつ作品を書いたことでよく知られています。さらに、六人組と同世代には イベール (J. Ibert、1890-1962)がいて、《寄港地》そのほかの作品を遺しています。また、この六人組の後に続く世代には、 メシアン (O. Messiaen、1908-92)や ジョリヴェ (A. Jolivet、1905-1974)などがおり、それに ブーレーズ (P.Boulez、1925-)が続いています。

  この時期のドイツには、 ヒンデミット (P.Hindemith、1895-1963)が出て、実用音楽的な作品を書きました。また、オーストリアには シェーンベルク ( Arnold Schnberg 、1874-1951)が現れ、12音音楽を確立して、20世紀音楽が当初において模索していた無調性という指向の、1つの帰結点を示すことになりました。
  12音技法というのは、オクターヴを構成する12の音のどれもが同じ資格を持つと考えることから出発します。その12音をすべて1回ずつ使用して、 セリー とよばれる音列を作り、そのセリーをいろいろに組合わせて音楽を構成していく方法です。つまり、従来の意味での主音、属音といった、音に固有な機能を与えることなく音楽を作る方法、つまり無調性の音楽なのです。それまでの、たとえば全音音階や中世の教会旋法の利用とか、自由な付加音による不協和音の使用、あるいは、複調ないしは多調の方法を用いるといったやりかたも、確かに伝統的な機能和声から離れる方法の1つでした。しかし、それらは調性のある音楽を否定ないし破壊するというほど積極的なものではなく、むしろ消極的な脱調性の方向でのテクニックに過ぎなかったといえます。
  しかし、 シェーンベルク による12音音楽の技法は、そうした意味で調性をまったく否定した音楽を書く方法でした。この シェーンベルク の方法は、弟子の ウェーベルン (A. Webern、1883-1945)や歌劇《ヴォツェック》で知られる ベルク (A. Berg、1885-1935)など、新ウィーン楽派とよばれた人々によって受け継がれていきます。

  ロシアには 五人組 の後、 グラズノフ (A.K. Glazunov、1865-1936)や ラフマニノフ (S. Rakhmaninov、1873-1943)、 スクリャビン (A.N. Skriabin、1872-1915)などが登場します。ロシア革命後は、 プロコフィエフ (S. Prokofiev 、1891-1953)、 ハチャトゥリャン (A.I. Khachaturian、1903-78)、 カバレフスキー (D. Kabalevsky、1904-87)、 ショスタコーヴィチ (D. Shostakovich、1906-75)などが出て、ソヴィエト時代の音楽を作り上げていきます。 プロコフィエフ リムスキー=コルサコフ に学んだ人ですが、急進的な作風で知られ、一時亡命しますが、1934年には帰国して、その後はソヴィエト政権の国策に沿った作品を書きました。 ハチャトゥリャン にはバレエ音楽《ガイーヌ》があり、 カバレフスキー はわかりやすい作風で知られます。また、 ショスタコーヴィチ は交響曲作家としての業績が認められます。

  ハンガリーの バルトーク ( Bela Bartok 、1881-1945)も20世紀の音楽では重要な人物の1人ですが、その作曲活動が開始されるのは第1次大戦後のことです。ピアノ曲として知られる《ミクロコスモス》をはじめ、民族色の強い作品を遺しました。彼の作品にあらわれた原始的なリズムや、素朴な民謡的素材による強烈な個性あふれる作風には独特の雰囲気があり、特異な作曲家として位置づけられています。また、 バルトーク と同世代には コダーイ ( Zoltan Kodaly 、1882-1967)がおり、歌劇と組曲のいずれもの《ハーリ・ヤーノシュ》がよく知られていますが、音楽教育面でも重要な業績を遺しました。

  その他の国では、イギリスに印象主義的な作風で知られる ディーリアス (F.Delius 、1862-1934)、 ヴォーン=ウィリアムズ (R. Vaughan-Williams、1872-1958)、歌劇《ピーター・グライムズ》ほかの作品で知られる ブリテン (B. Britten、1913-76)などがいます。イタリアでは、ピアニストとして知られ、 バッハ の作品を校訂したしたことで名高い ブゾーニ (F. Busoni、1866-1924)やローマの3部作で有名な レスピーギ (O. Respighi、1879-1936)などが登場します。さらにその後の世代には、歌劇《スザンナの宝石》で知られる ヴォルフ=フェラーリ (E. Wolf-Ferrari、1876-1948)がいます。

  音楽的には後進国だったアメリカも、20世紀に入ると、自国の作曲家を輩出するようになります。ジャズ音楽との融合的な音楽で知られる ガーシュイン (G. Gershwin、1898-1937)が出て、《ラプソディ・イン・ブルー》や歌劇《ポギーとベス》などの作品を発表します。そのほか、《大峡谷》の グローフェ ( Ferde Grofe 、1892-1972)、急進的な ヴァレーズ (E. Varse、1885-1965)、チャンス・オペレーション(偶然性の音楽)で名高い ケージ (J. Cage、1912-92)、最もアメリカ的な作曲家とされる コープランド (A. Copland、1900-90)、歌劇作品で知られる メノッティ (G.C.Menotti、1911-)などがいます。またメキシコでは チャベス ( C. Chavez、1899-1978)、ブラジルでは ヴィラ=ロボス (H. Villa-Lobos、1887-1959)などが活躍しました。

  第2次大戦後になると、フランスの シェフェール (P. Schaeffer、1910-)によってミュージック・コンクレート(具体音楽)が、ついで、ドイツの シュトックハウゼン (K. Stockhausen、1928-)によって電子音楽が発表され、音楽がこれまでとはまったく違う素材によって作られるようになります。また、ギリシャの クセナキス (Y. Xenakis、1922-)はストカスティック(確率音楽)とよばれる数学的に作り上げる音楽を生み出しました。